日常を笑うファインダー/AKIPINとSACHIKO(AKIPINの妻)
2021/08/09叡電が好きだ/SACHIKO
叡電が好きだ。
私の生まれ育った京都市左京区の実家は、叡山電鉄、通称『叡電(えいでん)』の踏切のカンカンカンカンという音や、ゴトゴトンという電車の音が風に乗ってかすかに聞こえてくる場所にあった。
駆け足すれば1、2分で駅にたどり着けるような距離だった。
幼稚園へ通うとき、叡電の踏切を渡る。
公園へ行くとき、叡電の踏切を渡る。
母に連れられ、市場へ買い物へ行くときも叡電の踏切を渡る(今はスーパーになっている場所は、当時は、個人の商店が集まる”市場”だった)。
小学生になれば一人で叡電に乗って習い事へ行ったし、大学生になると叡電、京阪、阪急と乗り継いで大阪へ通学した。
祖父と叔父が営んでいた床屋もその踏切近くにあった。
学生時代にアルバイトをしたおうどん屋さんもその踏切近くにあった。
通っていた小学校の横にも叡電の線路が走り、駅があった。
今ごろになって気づくけれど、ゴトンゴトン、ウーン、と電車の走る音は、私の耳にいつも無意識に聴こえていたのだと思う。
カンカンカンとかボンボンボンとか、遮断機の降りる音も耳に刻まれている。
その音は今でも思い出せるし、聴こえる気がする。
そしてその音はなぜだか、夏の記憶を連れてくる。
むゎっと暑い夏の日。
「髪の毛、短こうしてもらお」と母からの声。
幼い私は、踏切近くの祖父の床屋へ連れて行かれる。
「べっぴんさんしたろな」と髪を切ってくれる祖父。
「べっぴんさん?ペンギンさんのことか?」と思う私。
髪の毛を伸ばしたかった私は、床屋へ連れて行かれて散髪するのが嫌いだった。
祖父のことは大好きだった。
いつかの夏の日。
鏡に写る、短くなっていく自分の前髪が嫌で嫌で泣き出して、叔父を困らせた。
ああ。
店の中の水槽にはマリモがいて、漫画の棚には「ゴルゴ31」が置かれていたな。
ああ、なぜだか、ここまでツラツラと書いてきて、マリモのことを思い出したら、胸が苦しくなった。
叡電に乗って、今はなき「八瀬遊園」のプールへ泳ぎにいとこたちと行ったことや、終点の鞍馬駅まで行って鞍馬山へ登った夏のこと、宝ヶ池駅から「子どもの楽園」へ行ったこと。
駅のベンチが今も昔ながらの木であること。
昔は車内で切符を車掌さんから買っていたこと。
自動改札もない駅もまだまだあること。深緑の古い車両のこと。
叡電のことをたくさん書こうと思っていたのだけれど。
踏切近くの祖父の床屋と祖父のことに胸いっぱいになってしまった。
祖父にはもう会えない。
叔父にも。
今はなき、私の生まれ育った実家。
夏の夜、網戸越しにかすかに聴こえるガタンゴトンとカンカンカン。
夏の夜は寝苦しい。