日常を笑うファインダー/AKIPINとSACHIKO(AKIPINの妻)

2020/08/152003年に書いた天然パーマのこと/AKIPIN

インスタグラムはもちろん、フェイスブックもツイッターも、「ブログ」という言葉さえなかった2000~2003年にぼくは大学生で、インターネット上の日記帳に文章を書いていた。そのときの文章、なんのタメにもなりませんが、 なんのタメにもなりませんので、お読みくださるとうれしいです。



天然パーマだった。

大多数の読者の皆さんが必ずどこかで何かをしていた1987年か1988年のある晴れた朝。
皆さんがどこかでしていたそれと全く同時に、私は日本の、京都の、南部の、あるマンション7階の一室の畳の部屋で、髪にクシを入れていた。
お母さんの鏡台でお母さんから隠れるように初めて自分の前髪に自分でクシを入れてみて、そして、「おかしいな」と感じていた。

クルン
クルンクルンっ

このどうぐは、かみのけをおもったとおりにうごかしたり、まっすぐにしたりできるはず。
なんでぼくのかみのけ、くるくるなんやろう。

天然パーマだからであった。
だが当時「天然パーマ」なんて言葉はおろか、「生まれつき髪がクルクル」「生まれつき髪がクルクルではない」という二者が存在することすら知るはずもない幼い私は、その日から漠然とした疑問の感情を抱き、かといって何をするわけでもなく、とりあえず親友のHくんの頭をときどき見た。自分と違うなんかシャッシャッ!とした雰囲気のそれを、ときどきちらっと見た。

髪の毛の記憶は、小3まで飛ぶ。
私はいつからか近所のおばちゃんたちに「キューピー」と言われていた。顔がそんな顔で、髪がクルクルしてるから。
「あ、キューピー。」
「キューピーちゃん。」
いやだった。
マンションの廊下で時折自分を指して飛んでくる、その明らかに日本人でない、地球人でさえなさそうなわけのわからんその響きが、とてもいやだった。
なんであんなものと同じなのか。
なんであんな裸体と。
さらに「キューピー」と発せられると同時に必然的にものすごい存在感で胸にこみ上げる「マヨネーズ」。避けようない「マヨネーズ」。
その、粘っこくて曲線型でひねくれたような響きと味までもが悔しくも自分の髪をうまく表せているようで、私は「キューピーマヨネーズ」を心の底から嫌った。そしてある日、いじわるな友達からその嫌いな調味料を連呼されて、泣いた。
涙の隙間からは、「それくらいで泣かんでもええやん・・」と、今思えば正しく戸惑う彼が、見えていた。

友達間で「キューピー」をタブー化させる迫力で力強く髪を気にしていた私は、日常で「髪」という単語が出るだけで自分がバカにされていると感じ、へこんでいた。
ダイレクトに自分の髪に言及されていなくても例えば友達の間で「○○くんが髪切った」という話になっただけで、その場にいる人々の脳裏に(髪→クルクルの髪→あきちゃんの髪は天然パーマ!)という連想がなされているものと感じ、悲しんでいたのである。自意識過剰の芽生えである。

どうすれば髪がまっすぐになるのか。
悩み続けながらもせいぜい「髪を濡らして手で押さえる」といった効果のない手作りストパーしか思いついてなかった私はしかしある日、「これだ!」と希望に満ち溢れることになる。
ある絵本で、「死んだ少女を前に悲しむ王子の涙がポタッと当たって少女が蘇生」というすごい話を読んだのだ。
先述の「これだ!」が一体どれだ!かというと、「涙だ!」ということである。

以前から薄々、「涙には何かがある」と見込んではいた。ただ口に入ったときに感じる「飲むようなもんではない」ということしかまだわかっていなかったが、そこへ飛び込んできた「涙万能説」。
復活したすごい少女とめちゃ嬉しそうな王子を見届けて最後のページを閉じた私は、「これから、泣いたときはぜったい涙を髪につけよう」とすごく斬新な決意をしたのであった。
ちなみに、泣くことを冷静に計算して準備してる恥ずかしさには全く気づいておらず、さらに残念なことに、「王子の涙と自分の涙を同レベルにとらえていいのか?」「自分の髪は死体か?」という疑問を抱きもしなかった。残念である。

それからというもの、泣いたときは本当に涙を髪につけた。泣くほどの何かがありながらも、(あ、そうそう)と思い出し、手の甲や指に「奇跡の水」をつけ着実に髪へと運んだ。気持ち悪い。
涙を髪につけ忘れて泣き終わってしまった日などは非常に悔しく、そしてやるせなく、もうほぼ乾いている目を指でこすって少しでも「奇跡の水」を採取しようとしていた。怖い。

2年後のある日私は、風呂場で、洗面器に張ったお湯に前髪をつけ、じっとしていた。触れないほど熱いお湯につけて、じっと期待していた。

天然パーマであった。
そう、「涙をつける」ことによって奇跡的にパーマが治りは、していなかったのである。
「涙には何かがある。」と見込んでいたが、涙には何もなかった。当たり前である。そして、新たな手法で、天然パーマに立ち向かっていたのであった。

このころ、「ストレートパーマ」というものをなんとなく知った私は、同パーマに至極憧れるとともに、(どうやら「熱」で髪がまっすぐになるらしい)という理解をしていた。「涙万能説」に比べれば革命的な進歩である。
だが私は、その理解そのままに単に熱を髪に与えてしまったのであった。
期待したストレートパーマと同じ効果などもちろんなかったが、単純な私はある意味ストレートなパーマネントだったと言える。

このころの私の髪は、以前とは異なる様相を呈してきていた。
以前は、音でいうと「クルクルっ、クルクルクルっ♪」という小刻みなクルクルだったのが、成長期で髪質に変化があり「カーールカ~~ル♪クルっ」というやや伸び伸びとした羽根を伸ばし気味の、それでいて初心忘るべからず的なコーディネイトになっていた。
わけがわからないので簡単に言うと、手足は生えたけど尾びれもまだバッチリあるオタマジャクシのような中途半端さであった。

「ただ髪を熱するだけではだめ。熱プラスアルファ何らかの圧力が必要だ」と日々考えていた半端なオタマジャクシはいつしか、ある家電製品が発する水蒸気を見つめるようになっていた。
炊飯器であった。
ご飯をほくほくに炊き上げる熱さに加え、かなりの勢いでこっちに向かってくるあの積極的なあの感じ。この蒸気こそが積年の苦い思いを払拭するツールだったのだと、ああこんなところにあったのかと、思ってしまった。
今思えば、「天然パーマを直毛にできる」などというものすごい可能性が家の中に転がってるわけがないのであるが、ピュワな私はお母さんの目を盗み炊飯器に近づき、見つかりそうになって何食わぬ顔をし、また近づいては遠ざかり、そしてついに、水蒸気に頭を差し出した。

(熱っ!!!!!)

熱かった。
痛かった。
でもこの辛さこそが直毛への架け橋だと信じた。
数秒後私は洗面所へ走った。
鏡を見た。
前髪の先端数ミリが、見たことのない焦げ茶色になっていた。
焦げ茶色になって、すごく緻密なチリチリになっていた。
さわると数ミリたちはぱらぱらと落ちた。完全に死亡していた。
そしてなんか、くさかった。

最後に何かを試したのは中2のときだったと思う。

風呂場にある「リンス」の意味をよく知らなかった。
(「髪につけてお湯でサッと流すんやで」とお父さんが言ってた記憶があるけど、それはお父さんが間違いで、本当はリンスって髪にしっかり染み込まさないといけない気がする。)
実の親を完全に軽視した判断で、しかも「気がする」というだけで、ある日から私はリンスを勝手にパックのように使い始めた。今思えばこれは、「コンディショナー」との間違いである。
シャンプーをした後リンスを髪にまんべんなくなじませ、流さずそのまま風呂を上がり、20分ほど待機して髪に染み込んだ実感を得てからバスタオルで拭き取り、リンス終了。
最後まで洗い流さないところが肝心と思っていて、そして今思えば危険である。
髪と毛根と頭皮には本当に申し訳ないことをした。

効果はというと、当時髪が妙なサラサラで、枕が妙ないい匂いだったことだけ覚えている。

その後、髪の毛のクルクルはなぜかだんだん減っていって今に至る。これはこないだ妻にカットしてもらったときの写真。

 
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