日常を笑うファインダー/AKIPINとSACHIKO(AKIPINの妻)

2019/12/21よく聞く「今を生きる」を考える/AKIPIN

ちょうど1年前、とある出版物のためにいくつかの文章を書いた。
その出版物はまだ出版されておらず、その文章たちはまだ世に出ていないのだけど、出版社の許可を得たので、「くらしのははは」に掲載したいと思う。



今年の1月20日くらいにふと、(ああ、もう今年も20日経ったのか、『あけましておめでとう』って言ってたあの元旦は、昨日のことのように感じるのに。)と思った。

つまり、ちょっとおおげさだけど、20日間がたった1日のように感じたということだ。
この「20分の1」の感じ方でいくと、この先20年はたった1年くらい、この先60年はたった3年くらいに感じる、ということになる。人生なんて、あと2、3年くらいの感じで終わってしまうのか。

もちろん、これは極端な考え方だ。過ぎた期間を「昨日のことのように感じる。」と言ったりするのはよくある言葉の“あや”で、本当にそこまで短く実感しているということは少ない。

でも、時間というものは容赦なく、ものすごいスピードで過ぎていってしまう。それは現実的な実感として多くの人が抱いている気持ちだと思う。
「今を生きる」という言葉はよく聞くけど、ぼくは「今」というものの大切さ、尊さを、表面的ではなく少しでも深く強く実感して生きたいと思っていて、過去のこととか、未来のことをよく考える。

例えば15歳のころ。高校に入学したことで「ぼくも大人になったなあ」なんて思っていたし、30歳になったときには「こんなに歳を重ねてしまった」などと少し重い気持ちを抱いていた。
でも、37歳の今のぼくから見たら、15歳はもちろん、30歳の自分もめちゃくちゃ若い。
たった30歳だった時代はものすごく貴重で、夢のようで、胸が痛くなるほど、ただただ尊かったと思う。その尊さをもしあのころ知っていたら、あんなことやこんなことにも挑戦したのに、なんて思いもよぎる。

そんなふうに「今」から「過去」を考えてから、次に、「未来」から「今」を考えてみる。

50歳になった自分が37歳のころの自分を思い返したとき、何を思うだろうか。

たぶん、
<たった37歳だった時代はものすごく貴重で、夢のようで、胸が痛くなるほど、ただただ尊かったと思う。その尊さをもしあのころ知っていたら、あんなことやこんなことにも挑戦したのに>
なんて思いがよぎるに違いない。

30歳の自分には戻れないけど、でも、37歳の自分なら、今まさに、生きることができている。これは、すごいことなのだと思う。

この今には、これからの人生の中で一番若い自分がいる。
この今は、未来のいつか、懐かしんで胸を痛める夢のようなものになる。
夢とは普通は触れることのできないものだけど、その夢は今まさに自分の目の前にあって、この手で触れることができる。
あんなことやこんなことにも挑戦することができる。

本当にすごいことなのだと思う。

日常生活を過ごしているとつい忘れてしまいがちになるけど、今の尊さを心にしっかり刻んで、今を生きていきたいと思う。

 
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