日常を笑うファインダー/AKIPINとSACHIKO(AKIPINの妻)
2019/08/26器と私 その1/SACHIKO
磁気、陶器、ガラス。洋物、和物。
私はとにかく、器を観るのも買うのも好きだ。
いつごろから器に興味を持ったのだったろうか?
ふと振り返ってみる。
23歳のころ友人とルームシェアをして自炊を始めたころ、アジア雑貨の店で白地の浅めのどんぶり茶碗を2つ買った。これが最初に選んだ自分の器だったろうか?
いや、違う。
少しさかのぼってみる。
高校の卒業旅行、同い年の従姉妹と訪れた横浜の中華街。
そこにあった雑貨屋で、「ひな祭りのときに食べる顔の模様の入った小さな飴」のようなガラス細工が透明のガラスに散りばめられたお皿と、同じ種類のガラスボウル。
フルーツを盛ったりヨーグルトを食べたりするときにオシャレやなぁーと思って買った。
これが最初に選んだ自分の器だったろうか。
いや、違う。
もっと記憶をたどると、小学校4、5年生のころだ。
ままごとが好きだった私。
近所のガラクタ置き場で見つけた陶器のお皿を”拝借”してきたことがあった(ガラクタ置き場だと思っていたけど、あれは何置き場だったのだろう?どなたかの私物だったのかもしれない。ごめんなさい。)。
おもちゃのプラスチックのお皿とは違って、重みがあるし、遊んでいて落として割れて怪我をしてしまうかもしれない。
母に見つかったら「どこから持ってきたんや!!」と叱られるかもしれない。
小さな恐怖を抱きながらも、その陶器に、雑草で作った野菜炒めや泥んこカレーなどを盛り付ける。
器が本物というだけで、その泥んこカレーはリアルな空気をまとって、美味しそうに見えてくる。
お料理に興味があるけど、まだ小学生。
子供だけでは自由にキッチンを使わせてもらえない私。
このリアル食器でのおままごとが、その窮屈さを晴らしてくれていたように思う。
子供ながらに、「器によって料理が映えるか否か」を感じていた。
きっと、これが器と自分との最初の出会いだったのではないだろうか。
ちなみに、高校生のときに横浜の中華街で買ったガラス細工のガラス皿は、出番こそ少ないけど今も私の食器棚に。
ガラスボウルの方は食器好きの叔母にあげた。
23歳のときにアジア雑貨店で買った白いどんぶり茶碗はあれから約20年、現役で、しょっちゅう食卓にのぼっている。
親子丼、煮物、スープなどなど何を盛っても当たり障りのない、控えめな存在だけど飽きがこない。
ガラクタ置き場で拝借してきた陶器のお皿は、割れてしまったのだったろうか?
叱られて返しに行ったのだったか?
さてはて。
(PHOTO by AKIPIN)